認識の差は流れを分かつかって話
こんばんわ、ヴェンデッタです。
新年明けましておめでとうございます。
こんなところですが、今年もよろしくお願いします。
・そういや普通に顔出しするようになったよね
年末のバーチャルフリークだったりふしまつのオフ会だったりと案外「バーチャルで活動する人がリアルイベントで顔合わせする」ということが普通になってきました。
去年の今頃っていうと四天王の中の人がバレてたりしてた時期だったりして「VTuberの魂を掘り返すのは御法度」的な事を改めて認識させられて昔の声優ってイベント出なかったのはキャラのイメージとかあったからだよなぁみたいな話をしながらしみじみしていたことを思いだします。
それが今ではリアルイベントでVTuber顔出しして名刺交換するような環境になってきたりしてるわけです、後者は厳密にはVTuberではありませんが。
VTuberには「バーチャル体で活動することの神秘性」というのがあって「輝夜月ちゃんは月ちゃんであって有名な配信者のうんたら」という考え方はナンセンスだったハズなんですね。
別にこれに限らず、時間が経つにつれてVTuberにもファンにも様々な認識に格差が生まれてるんじゃないかなぁと私は思うのです、今回はそんな話です。
・大衆向けとコア向け
前回の記事で4つの種類のジャンルにVTuberを勝手に分けたんですけど、その4つをもっと大雑把に分けるなら「大衆向け」か「コア向け」に分かれるんじゃないでしょうか?
deepthinkvtuber.hatenablog.com
ゲーム実況や雑談配信などの従来の「生主文化」に沿ったことをしていたり、歌ってみたや一般受けしやすいことを配信している方を大雑把に大衆向けとカテゴライズして、逆に一般向けし辛いけども独特な事をしていたりニッチな創作をしていたりする方をコア向けとカテゴライズしてみた上で、両者につくファンは「大衆向けのファン、両方好きな動きやすいファン、コアなものを探っていくファン」に分かれるんじゃないでしょうか?
今はまだこのファン層の別れ方は曖昧なんですが、この先このファン層は大衆向けファンとコア向けファンの2つに分かれてどんどん独立していきそうな感じがしていきます。
なんでこうなるのかというのはぶっちゃけ曖昧なんですが、大衆層とコア層ではそもそも求めているものが違うんじゃないかと思うわけなんですね。
大衆層は既存の物で80%ぐらいの満足度で、そこからの成長を物語的に捉えて「ほにゃにゃらすることにしました!」的な所にエモーショナルなヤツを感じてトータル120%の満足度に至るわけですよ。
それとは別に自分の好きなニッチジャンルを探し求めてたり尖ったことや新しいことに挑んでる方を探し求めていたりする方もいますし、そういう方はメッチャニッチなVTuberを知ってるけど案外四天王クラスを案外知らなかったりする場合もあるのです。
もちろん分母で言えば大衆層の方が圧倒的なんですが、この2種類は明確に求めているものが違う以上大きく分かれていくんじゃないかと考えます。
この2種類のファンと大雑把な2種類のVTuber、そしてこの2種類が両者とも接点が薄い(交流関係や単純な認知度の壁、そして大衆層のファンがコアに流れる可能性というのが大分薄いということを見て)というところを考えればここに壁が生まれて流れが二分されるんじゃないかと思います。
仮にその通りになって二分された場合を考えると界隈の中で全く違う流れなファンが2勢力生まれるんですね。
そうなれば「無理に交流深めていかなくてもコア向けファンに発信していけば間違いなく食いつく」という風潮が生まれそうな気がするんですね。
そこから発展したらどうなるかっていうのは分かりませんが、面白い流れになりそうだとは思いませんか?
いかがでしたでしょうか?
今年から小出し気味な記事を連発して定期的な記事投稿を目指していこうかなと思います。
従来の長めの記事は中々読まれづらいのかなという感じなだけですが、まぁぼちぼちってことで。
以上、ヴェンデッタでした。